基本情報
- 名前:清水 太一
- 年齢:26歳
- 職業:バスケットボールコーチ
- 資格:日本スポーツ協会公認指導員/日本バスケットボール協会公認C級コーチ/保健体育科中学校教諭一種免許/保健体育科高等学校教諭一種免許
- 出身:東京都・趣味:読書、映画、カメラ、旅行
ブログについて
このブログではバスケットボールという1つのコンテンツを通じてする、見る、支える全てのステークホルダーに対して成長できるヒントを提供します。
実績
選手
区大会優勝
区選抜選出
東京都2位.3位×2
関東大会3位
全国大会出場
東京都選抜2年連続選出
東京都優勝×6
インターハイ3位.ベスト16
ウィンターカップベスト8
コーチ
- H28年度
ジャパンカップU15 優勝
第5回全国ジュニア選手権大会 3位
- H29年度
第6回全国ジュニア選手権大会 優勝
- H30年度
第3回月バスカップ 3位
- R元年度
第4回月バスカップ 3位
東京都クラブ選手権 優勝
東京都U15バスケットボール選手権 準優勝
第7回全国ジュニア選手権 6位
東京都U15リーグ 優勝
- R2年度
東京都U15バスケットボール選手権 準優勝 - R3年度
クラブDリーグ リーグ優勝、プレーオフ優勝
東京都U15バスケットボール選手権 優勝
bjカップ 優勝
第2回全国U15バスケットボール選手権大会 ベスト16
- H30年度
関東ジュニアバスケットボールリーグ戦Aグループ3位
- R元年度
東京都クラブ選手権 優勝
東京都U15バスケットボール選手権 準優勝
第7回全国ジュニア選手権 3位
東京都U15リーグ 優勝
- R2年度
東京都U15バスケットボール選手権 3位 - R3年度
クラブDリーグ プレーオフ5位
B3 しながわシティ バスケットボールクラブ
関口 サムエル(Samuel Sekiguchi)
社会人数名
大学生数名
日本体育大学Bチームヘッドコーチ
CONFIANZA東京U12ヘッドコーチ
CONFIANZA東京スクールコーチ(U9、U12、U15)
部活動外部コーチ
スクールコーチ
出張指導
生い立ち

バスケキャリア
立野ミニバス
選んだ理由
姉がバスケをしていたことがきっかけでサッカー少年だった私はバスケも始めました。
たまたま同じ学年の人数も多くバスケに関わらずずっと一緒に遊んでいてその延長線上にバスケがありました。
現代では競技の早期特化の問題がありますが、余白がありながらバスケを楽しんでいたので最高な空間だったと思っています。
石神井西中学校
選んだ理由
単純に学区域なのですが、昔からバスケットボールの名門として都内の公立では有名な学校でした。
ありがたいことに入学してすぐから試合に出させていただき、今はなきジュニアオールスター(都道府県ごとの選抜で行う全国大会)も1年時から選んでいただきました。
中3になりチームは新人戦でまず都2位、春の大会で都3位と成績を残し、最後の大会では関東大会も勝ち進み、全国大会まで行くことができました。
本当にチームメイトに恵まれ、地元集団でよくここまで行けたなとも思います。
練習は顧問の先生が常に見れるわけではないので練習は考えながらやってました。
この経験がコーチを選んだきっかけの1つかもしれません。
八王子高校
選んだ理由
高校選びもなかなかに迷いましたが、強いところでやりたいが1番優先事項でした。
そして決めた高校が八王子高校。
入学する前の年に日本一になっていた高校です。
感じたこと
高校1年生の最初はベンチにも入れず応援…
思ってたのと違うぞ、と正直焦りました。
でも必死に先輩方についていき1年生のインターハイからベンチ入りはできました。(今思えばついていくことで精一杯のメンタルではダメだったなー)
高校3年になりやっとスタートで試合に出場できました。
正直個人の実力ではもっとできる選手(下級生に現在Bリーグ秋田ノーザンハピネッツの多田もいました)いたと思いますが、自分なりにチームに必要な存在になれば試合に絡めると思い176cmしかないのにパワーフォワード的なポジションをやっていました。
時代的にヒートのビック3時代だったので、ストレッチ4の先駆者(クリスボッシュ)を真似してましたね。
結果としてはインターハイ、ウィンターカップカップ共に明成高校に負けてしまいました。
そう!誰もが知っている八村塁君が高校1年生のときですね。
ウィンターカップのメインコートで彼に目の前でダンクされた時にはこれはレベルがちがう、って少し思いました。
今となっては良い思い出です。
NBA選手に目の前でダンクされたんだよ!!って子どもたちにも話します笑
日本体育大学
選んだ理由
保健体育科の教員になりたいという夢があり、そのためには体育大だろうという考えで進学しました。
八王子高校が良い意味で上下関係とかも緩めだったので噂には聞いていましたが最初はなれませんでした。
それすらをぶち破るくらいのメンタルが必要なんですけどね…
寮生活をしていましたが同じ部屋は赤土さん(昨年までBリーガー)で朝早くから自主的にシューティングに行ったり、トレーニングしたりしている姿を見て上のカテゴリーで活躍するにはどんな姿勢が必要なのかを目の当たりにしました。
そして大学2年生の時から、そもそも大学選びの際に志望理由としていたコーチの道へシフトします。
コーチキャリア
公立中学校部活動編
初めて指導する機会をもらったのは公立の中学校の部活動でした。
この経験が後々自分の進路を決めていくとはその当時は知る由もありませんでした。
チームはといえばミニバス経験者は3人程度でバスケットボールを教えにいったはずが子どもたちがそれを求めていないようでした。
部活動の顧問の先生はバスケ初心者のため練習もこちらで全て決めれたので経験としては良かったのですが教育現場、部活動の限界(顧問が必ずしも専門種目につけない、子どもも全員がバスケがやりたいわけではない等)を感じました。
日本体育大学Bチーム編
日本体育大学は当時Bチーム以降は学生コーチがコーチを担当していました。
いきなりヘッドコーチとして大学生の指導ができたのもかなり大きかったです。
すでに中学生にはバスケを教える経験があったのでそこまで問題はなかったのですがやはりレベルがかなり上がるので大変でした。
教えようと思っても自分の経験値でしか指導ができないことに気づき、大学の図書館にあるバスケに関する本を読み漁りました。
スクール編
バスケを教わりたくて練習に来ているという初めての環境でした。
大学生を除き初めてバスケを教えたい人と教わりたい人というwin-winな関係で関われたような気がします。
そして元々保健体育科の教員として働こうと思っていましたがバスケを教えることのできる環境が魅力的に思えました。
コンフィアンサ編
中学3年生が部活動引退後〜高校進学するまでの約8ヶ月の育成をする環境でした。
時代の流れ(JBAの登録制度が変わった)と共にサッカーでいうユースチームや野球のシニアのような部活動ではなくクラブチーム1本の活動形態に変化しました。
卒業生には木村圭吾(スラムダンク奨学金→新潟)、木林優(筑波大学)などがいて、これは中学生か?ってくらい上手でした。
しかし所詮は中学生で未熟な部分がありそこを一緒に成長していこうとさらに勉強をしました。
学校の先生になりたい=顧問をしたいと思っていた私ですが時代は変わりバスケットボールだけに携われる環境を作ったことにより現在の職業になりました。
同じように悩んでいる学生がいたらこんな環境もあるよと伝えたいですね。
まとめ
最後まで読んでいただきありがとうございます。
私はブログを通じて「成長」できると思っています。
そして「成長」したい仲間と繋がれたら幸せです。